句集 『飛礫』 抄

                    序 中島斌雄  跋 鈴木昌平  昭和49年 長谷川書房


 河合凱夫の名を世に広めた句集。俳句のレトリックの可能性を広げたといえる。


  いまだ冬服遠くなるほど電柱痩せ
  冬蜂の飛ぶまでを見て海峡去る
  餅の耳硬しその後のピカソを見ず
  あごで応える冬の花火師市場祭
  風塵やかがめばかたちなす土筆
  春嶺は女性草を噛む山羊うつむく山羊
  打擲しあう星ら二月の露天風呂
  春霜の擾乱やがて火となる藁
  初蝶の振り廻さるるごとくに飛び
  遠い花桃鏡の奥で少女脱ぐ
  夜の南風臥せば蹠が脂噴く
  絶叫のあとうろたえて羽抜鶏
  樹の奥の毛虫焼きつつ墓と話す
  灼ける肌の一部分にて痒がる耳
  田植の果父子唾液のように睡る
  土間に筍不動産屋で百姓で
  奔流の迅さ変らず蛇呑んで
  逆光の嶺一条の滝吊るす
  酒場の軒へ突込む喜雨の乳母車
  雑草かたまって伸び蟻湧かす石
  水しろく曳き昏睡の大刈田
  案山子抜く土に踵をひっぱられ
  アンテナの柿が伸び過ぎ柿部落
  釘樽に首を突っ込み今日から冬
  鳴る冬木悪名うしろより蹤きくる
  枯れる滝女教師喋らねば孤独
  雪重し星を蒐めて睡る老婆
  沖から冬起重機が吊る馬痩せて
  寒鴉微光を羽の内側に
  掴みどころなし凍天の縄梯子
  放縦な夜の汐鳴り挿木以後
  猫跳んで春月のこる鬼瓦
  逝く春の蓋をことりと昼湯の妻
  ダム暖か口中暗くして笑う
  畦を塗る朝の太陽ころがして
  風の老婆抱きすくめては麦を刈る
  水に蟻かがやききってのち溺る
  残照が痒いヨットの帆をたたむ
  冷房に背を剥がされて銀行出る
  突堤の蟹が引っ張る赤い月
  蕗煮つまるマラソンの最後尾過ぎ
  地べたより生えし石仏鳴る泉
  枯れ全し吸殻投げて水哭かす
  濡れて来る猫いっぴきの枯れ故郷
  残炎の樹に液体のような蛇
  露蹴って脚彎曲の青いなご
  太陽が凍る時間の鷺の脚
  鶏散らす鬼の台詞で枯老婆
  脳天の鳥が飛礫となる寒さ
  青銅の屋根を結氷音歩く
  無方向なる白鷺の寒飛翔
  月明の冬木ら爬虫類に似る
  くらやみを抜ける冬芽の破裂音
  火まみれの目刺劣等感つのる
  くるぶしの固さ謀議の蛇苺
  管楽器寝かす五月の海の上
  水くぐる雲の漂白花あやめ
  青梅雨や沖にひらめく詩一行
   台北二句
  岩辿る黒蟻は一登攀者
  碧潭の奥へ奥へと大揚羽
  荒涼と蛇でつながる石と石
  汗冷えて闇に下流が見えてくる
  命終の蛇太陽をからげしまま
  虫昏れる一指はいつもこめかみに
  こおろぎやいつも脳裏に暗い電車
  思惟辿りつく薄明の黄コスモス
  結氷圏流木に星流れつく
  低くとぶ分水嶺の冬の鵙
  含羞や白紙のうえの寒卵
  猪喰うこめかみに罅はしらせて
  きなくさい猫のまわりの枯れ蓬
  凍る滝落下の滝とすれちがう
  村中の闇をあつめて火が凍る
  結界に冬空が見ゆ縄梯子
  杉山の杉の寒さの能舞台
  雪片が舞うくらがりの石の椅子
  流域の寒暮ひきずり鴉翔つ          (秋尾敏抄出)