句集『藤の實』抄

          序 高橋利尚 佐藤雀仙人 題字題句 渡辺志豊 昭和17年



 14才から22才までの句を集めた処女句集です。すでに自己の内面と外界の事象と
の関わらせかたにその早熟の天才ぶりが発揮されています。
 この俳人には、おそらく純粋客観などという幻想は無縁なのでしょう。事象の奥に常
に作者の内面がうごめいています。
 このころの作品では、出来事が作者の頭上でよく生起します。月や山や鳥などの題
材が多いこともそうなのですが、地上でしたはずの音でさえ「何か一つ落ちたる音の
冬の空」と詠み、「脳天に向日葵高くなり昏るゝ」と高さにこだわり、やがては自分より
低い存在さえも「冬仙人掌汚れわが肺よりも高き」と表現してしまいます。このことは、
志とは違う生き方を強いられた作者の世界像を知る手掛かりとなるはずです。(敏)


   放課後のオルガン鳴れり花八っ手
   夕月やもろこしの葉に風わたる
   菩提樹の實のこぼれゐる深雪かな
   返り花芝生を踏めばしづかなる
   何か一つ落ちたる音の冬の空
   春愁やたつきの三味をかい抱き
   棧橋の日傘に白き雲湧けり
   梅雨の闇つめたく人は牛曳いて
   露草に少年牛を放ちゆけり
   桑枯れて利根の川波照るばかり
   水の匂ひゆたかなる日の燕来ぬ
   窓ちかく夏山油じみたるよ
   病院船静けき月の海ゆける
   兵送り月しんしんと草に冷ゆ
   月かげのそこに及ばず蓮枯るる
   青田闇バスの尾灯のなほありぬ
   石像の余熱に昏れず雁来紅
   照る紅葉ここより利根の蒼まさる
   冬木なかしろい校舎が浮いてゐる
   鶏を呼ぶ母にあしたの月がある
   ひゞくものたゞ凍てきりし靴音のみ
   冬仙人掌汚れわが肺よりも高き
   足音の冬が仙人掌をおののかしめ  [「足」は本来は「工凡」冠が付きます。]
   銅鑼単調ひそと煙草をふかす胃に
   郷愁となりくる穹の鳶とがる
   わが靴音おもし梵鐘に烏鳴き
   脳天に向日葵高くなり昏るゝ
   かなかなにふれゆくいのち尖らしぬ
   きりぎりす夕べ妬心の掌に飼はれ
   枯野の陽果てしポストに口がある
   青蚊帳やもろこしに月かたぶきぬ
   草いきれ浪のうねりの高からず
   萍のそれより蒼き月上る
   枯桑や筑波の裸形よこむきに
   松ふぐりひとつは蒼き冬天に
   子烏のひとつが去らぬ野の暮光
   舗道凍つわが靴音の夜々ほてり
   傷心の天昏ければちるさくら
   つゝじ炎ゆ浜の崖石みな尖り
   夜の青田ひそかに恋をはらみゐる
   草の葉に朝の泉が匂へるよ
   蜂窩垂れ天体昏きこと久し
   日の涯に酷暑の時計鳴りにけり
   けさ秋の敷布の白にめざめゐる
   秋霖や燈に冷めている人体図
   鷹の眼に一痕の西日おとろへず
   からたちのめらめら青く春の雷
   夕明り麦笛既に朧めき
   落花あびて来し眼に畳冷えている
   堰水の眩しさあつめ麦は穂に
   青田中風生む沼のありて光る        (秋尾敏抄出)

-----------------------------7d62e394905f2 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="C:\My Documents\ヌミカ軆jiku\gaifu\kanto.htm" Content-Type: text/html  河合凱夫 『軸』巻頭句

 河合凱夫 『軸』巻頭句  平成9年11月〜11年7月

油彩  平成11年8月号(河合凱夫最後の作品です)


稲妻の切っ先鈍る夜の河


脱ぎ捨てしシャツ夏山の容(かたち)なす

一本のロープに縋る声暑し

梅雨暗し油彩の中に藍の粒

ここで終らじ風の出口の菱の花


しろがねの自転車はしり去る網戸

驟雨に混む電車誰かの骨鳴れり

黒いページに時計の音が蒸れて夏

梅雨怖しキャベツから水にじみ出て
鴉麦  「軸」平成11年7月号

窓二つ梅雨の運河を銅切りに
梅雨夕焼五寸釘もてとどめ刺す
縄垂れていたり西日の車井戸
なめらかに鯉が西日の水くぐる
往還に葛が這い出る日の盛り
高齢の犬しのびよる烏麦
暑い眺望球形タンク地に沈む
罵倒まだつづく白雨の向こう側
類型が類型を呼び薔薇多彩


 
「式根島」 平成11年6月号

沖に崖ありと思えり五月の木
余熱もつ浜昼顔の翳りかな
死を囲むように海牛覗く夏
海牛の反転灼けるとも違う
簡略な貌で海牛灼けてくる
島ぐらしハイビスカスの長い息
夏鴉島の明暗頒けあえり
きのうとは違う海流蟻跨ぐ
船室に水を煮つめて聖五月
 「旅吟」 平成11年1月  12月6・7日二本松市 20日深大寺

 冬将軍あゆむ南湖の水の上
 湯げむりに絡む冬霧二本松
 鬼女跳べり全山枯るる閑けさに
 凍る星鬼女の爪跡かも知れず
 影凍る荒壁を掻く鬼女の爪
 熊笹に沈みきれずに舞う落ち葉
 寒林の沈黙(しじま)を縫えり白い犬
 落ち葉浴び波郷の墓の傍通る
 歳晩や回して鳴らす首の骨

  「十三夜」     平成10年12月号 『俳句研究』12月号

 荒縄のほぐれてゆきぬ秋出水
 蚯蚓鳴く十七音にしたがえば
 釘ぬかれ月夜の梁が疲れ出す
 川犯す潮の明暗十三夜
 くちびるをめくりて刈田裏返す
 露団々は青邨われに露皎々
 リズム無き霧の単線利根運河
 ふり向いて影に影折る月羅漢
 ランプ描き秋思露わな斌男の句
 鶏の眼のぽつんと昏るる落葉寺


  「霧」  平成10年11月号

 白湯沸いて夜霧のホテルらしくなる
 夜霧音無し錠剤が胃に降りてゆく
 暗黒の霧をまといて露天湯出る
 三度とも違う血圧霧の出湯
 コゲラ飛ぶ林中の霧揺さぶって
 霧すぐに酔う平凡な木に凭れ
 黒檜みな千手伸ばして霧に舞う
 霧山中媼こんもりしていたり
 霧雫落としてゆきぬ山の鳥

 「にいはり」 平成10年10月号

 葛跋扈常陸十国見下ろして
 暴かれる山あり秋意拒みつつ
 穂すすきに裾曳く筑波高曇り
 不審火のあとの名刹実むらさき
 鐘撞いて耳に秋韻とり戻す
    小野の小町の墓
 よれよれの小町があゆむ霧の村
 萩はなれ先刻(さっき)の水に逢いにゆく
 まだ固い椎の実華奢な手のひらに

 「航跡」  平成10年9月
 
 新涼の沼がまばたき繰り返す
 秋暑く超高層の天詰まる
 肩
辷りそうな羅タラップに
 航跡はしろし秋風なお白し
 鴎とぶ九月の湾をかたむけて
 さんずいの要らなくなりし文字凉し
 れたる雨つき刺さる日向水
 扉いくつも押す立秋の葱提げて
 「せうべん」が読めぬ三十代の夏

 「万両の花」 平成10年8月号

 朝顔やこの月こなす一万句
 ありふれていて万両の花粒粒
 広辞苑ばかりを責めて夜の短か
 蝸牛だからどうしたとは言えず
 月涼し切字あれこれ飛び交いて
 丸太橋わたる涼しき浮力もて
 鰻湧く沼あり黒い椿の実
   悼
 七夕の闇よ斉藤文子の訃
   悼山本靖夫氏
 訃は九十二歳向日葵すくと立つ  

 「信濃路」 平成10年7月

 姥捨が見えて鍵穴ひかる夏
 風に起ちあがる小布施の栗の花
 謎などはもたざり現の証拠の花
 妙高の風降りてくる青芒
 湖に島ありて信濃の杉涼し
 馬鈴薯の花にうつりぬ生欠伸
 南風白し祈るかたちに掌を組めば
 血痰はまぼろし暑い湖中の暾
 見えてくる湖の輪郭梅雨茸

  「叙勲抄」 平成10年6月

 七百の胸のハンカチまさに夏
 老いて美し礼服に夏しのばせて
 夏は来ぬ老いの拝謁集団に
 昭和天皇在さばと松の芯仰ぐ
 四囲青葉豊明殿のシャンデリア
 とこしえの木の香豊明殿に夏
 九重の五月の天をとぶ海鵜
 咲きのこりつつ惻々と車輪梅
 乾門出れば噴水目に溢る

  「落花」  平成10年年5月 東金・三句(三枝青雲氏句碑除幕 四月八日)

 悠久の句碑を鎮めて桜山
 落花すぐ水に溶けゆく八鶴湖
 花曇り額の仏像金放つ
 月朧川に鉄臭横たわる
 夜の加速落下水より迅くなる
 雉いそぐ上流に火を放たんと
 今年竹風生まれねば狂い出す
 金網を撫でつつ歩む夜のおぼろ
  田上けゐ氏追悼
 さめざめと落花を追いていかれしか 

  「膝ついて」 平成10年4月

 光しは切字土筆に膝ついて
 暴走がはじまる韮に旭が射して
 切り株の傷が乾けり春疾風
 おぼろおぼろいかがわしきは槻の瘤
 七十七過ぎたる爪の冴えかえる
 敷藁に寝返るさまの落椿
 こみあげてくるもの抑え野火追えり
 蝶迷走樹の胎内をくぐりぬけ
 こころここにあらざるときに初蝶来

  「いのちづな」 平成10年3月

 五輪終ゆ雪上に星ばらまかれ
 雪卍泣く男らの喉炎えて
 巻貝のなかのくらやみ春の泥
 春雪を招ぶ青銅の鶴の首
 梅東風や叩き割るべき過誤ひとつ
 すぐ忘れ革手袋に闇つかむ
 雪烈し天へ天へといのちづな
 踏切に幹精悍の梅咲けり
 喜寿自祝 身につもる雪の光量明日ありき

       平成10年2月

 沈みゆくビニールシート蒼い雪
 雪降り降るビルの輪郭伸び縮み
 よみがえる綽名雪夜の一名刺
 凍雪を踏む濃闇の街抜けて
 雪に声絶たれて疼くもの疼く
 胃に落ちてゆきし眠剤雪の夜
 バス辷り出す氷雪擦過音
 炭砕きむかしむかしを輝やかす
 はればれと冬蝶海に死ににゆく  

  去年今年 平成10年1月

 クレソンの水にはじまる初明り
 竹筒の銭鳴るおも初詣
 去年今年群青の水さかのぼる
 残齢の足腰しかと去年今年
 硬直の吊革が揺る寒い海
 クリスマス喰べつくされし皿ばかり
 松の実を喰べ越年の墨おろす
 阿部一族たらんと冬木群立す
 志あるやに冬木手を伸ばす  

              平成9年12月

 見通ししものの華やぎ冬花火
 唐辛子打ちのめされしごとくなり
 まなうらを過ぎゆく筏十二月
 来る予定無かりし運河冬夕焼
 叛きたり叛かれたりき青い冬
 冷まじや盗汗のあとの半跏思惟
 風宿るティッシュめきたる山茶花に
 仏さま神さま絡みあう冬木
 杖ついてかなしからずや霜の天


   秋 茫 々    平成9年11月
 貪婪やつゆじもを置く桑の瘤
 良夜なり鶏のひとつが止り木に
 野田訛福島訛熟柿吸う
 失せてゆく風音ばかり唐辛子
 火の匂い立てしが照葉照りしずむ
 暮れてゆく妙義山塊そぞろ寒
 二度三度菱の実たぐり寄せられし
 カルシウム不足秋天乾ききる
 秋茫々虫の卵が木の枝に