河合凱夫作品研究

By 秋尾 敏

いまだ冬服遠くなるほど電柱痩せ
「軸」創刊号
 昭和四十二年六月、「軸」は創刊された。その創刊号の自己紹介欄に、代表句として自選された句である。
いまだ冬服
 春季である。それも晩春。夏服と冬服しか持ち合わせがなかったのであろう。もう冬服では暑い季節になっているのだが、冬服のままで暮らしている。こうした季語の使い方も、有季定型の極限を極めようとした、若き作者の意欲の現われなのである。
遠くなるほど電柱痩せ
 遠くの電柱ほど小さく、細く見えるのは当然のことだが、それを「痩せ」と見たところに独自性がある。
電柱
 立ち並ぶ電柱は、作者の自画像のようである。作者は、自分の来し方をそこに見ている。
                  「軸」平成19年6月号より
花冷えや出刃で掻き出す魚の腸

        
花冷え
 桜の花の咲くころ、急に寒さがもどって冷え込むこと。実際に開花した後に使うのが本当であろう。大気の温度を表す季語であるが、この句では、魚を洗う水の温度まで感じさせている。
出刃
 
本出刃、相出刃、中身出刃、薄出刃など多くの種類がある。一般的なのは本出刃包丁。
■出刃で掻き出す
 
漁師は出刃一本で刺身まで作るというが、日中の光景にもそれと似た趣がある。一本の出刃ですべてを捌いてしまうような見事な技に、作者は目を奪われているのである。
 「切る」「裂く」「切り裂く」「捌く」などの動詞はだれでもすぐ思いつくであろうが、「掻き出す」は、対象をしっかりと見すえていないと出てこない表現である。作者は、対象を見つめつくすことによって個性ある表現が生まれるのだとよく言っていた。
鷹羽狩行名句案内
 この句は、鷹羽狩行氏によって「NHK俳壇」誌上の名句鑑賞欄に取り上げられ、広く人の知るところとなった。鷹羽氏は、「濁音五つのごつごつしたしらべも効果的」と書いている。
 その名句鑑賞欄が、『名句案内』という一冊にまとめられ、NHK出版より刊行された。この句も「四月」の章に次の著名な句と並んで鑑賞されている。
 会員諸氏にはご購読をお勧めしたい。
囀やピアノの上の薄埃         島村  元
眼にあてて貝が透くなり桜貝      松本たかし
あをあをと空を残して蝶別れ      大野 林火
ちるさくら海あをければ海へちる   高屋 窓秋
白藤や揺りやみしかばうすみどり   芝 不器男
               NHK出版・平成19年3月・1500円
                   「軸」平成19年4月号より
関宿や遅日の畦へ天降る鷺

        「軸」平成3年3月号
関宿や
 「せきやど」である。関東の人には当然のことだが、関西で「関宿」と書けば、鈴鹿の関のあった三重県の「せきじゅく」ということになる。東海道四十七番目の著名な宿場で、昔は関町にあったが、今は合併して亀山市となっている。
 一方、この句の「せきやど」も、徳川家康の異父弟、松平康元を藩祖とする由緒ある藩の名で、近世から近代にかけて利根水運の中継地として高瀬船や通運丸の往来で賑わった。都内の清澄公園は、関宿藩の下屋敷跡である。
 野田と隣接はしているが、鉄道が通っていないため、作者のように車を運転しない人の往来は容易でない。またその風土も、野田とは少し違うところがある。そうしたことが、上五の「関宿や」という感慨を生み出したと思われる。凱夫の作品中、上五を「や」で切っている句はそう多くない。よほどの感慨と思って読むべきである。
遅日の畦
 城は維新後に取り壊され跡形もなかったが、平成七年十一月に関宿城博物館が開館し、天守閣部分が再現されて、当時を偲ぶ手掛かりができた。平成十五年の合併によって、今は野田市の一部となっている。
 だが、この句が詠まれた平成三年は、まだ千葉県東葛飾郡関宿町。博物館も地質調査の段階である。往時の繁栄とはまったく違う田園風景が広がる地に作者は立っている。城下町の痕跡を留めぬ水田の雰囲気を「遅日」一語で言い表したのは見事と思う。
天降る鷺
 「あもるさぎ」と読む。万葉時代からの言葉だが、「天下る」と同じことで、天から国土へ下るということ。天皇の行幸にも使うこの言葉を使ったのは、鷺を神聖な天の使いと見たためであるが、この地に何かそうした使いが来る必要のあることを作者は感じていたのではなかろうか。この地への作者の願いを感じとることのできる表現である。
                「軸」平成19年3月号より
二合半野火の遍歴はじまれり

         「軸」平成2年2月号
二合半(にごうはん)
 江戸時代の地名。現在の吉川市、三郷市一帯を指す。幕府直轄の天領で「二合半領」と呼ばれた。幕府の水利開拓事業によって、全国有数の穀倉地帯となった。このような、その地域の人しか知らないような地名を俳句に詠みこむことには批判もある。しかし作者は、どう言われようと「二合半」の名を俳句に読み続けた。それは作者が生まれ育ったこの地をこよなく愛し、その名を言い留めようという強い意志を持っていたからである。
野火(のび)
 早春に野山の枯草を焼く野焼の火。春の季語である。作者は、季語を上五や下五にただ置くだけという俳句の作りをできるだけ避けようとしている。
遍歴(へんれき)
 「遍歴」とは、さまざまな土地をめぐり歩いて、さまざまな経験をすること。「野火」は、勢いを強めたり弱めたり、傾斜を登り下りしながら燃え広がっていく。その様子は「遍歴」という言葉にふさわしかろう。また、「遍歴」という語によって、「二合半」の広さを暗示していることも見落としてはなるまい。「広い」と言わずに、広大な耕作地をイメージさせているのである。
はじまれり
 「遍歴」は、ふつう過去の経験に対して言うのだが、この句では、「野火」の未来に対して言っている。「遍歴がはじまる」という言い回しは通常はあまりしない。目立たないが、ここにも作者の異化表現がある。
作者の状況
 前年四月に句碑建立。しかし、腹部大動脈瘤の手術で作者はその式典に参加できなかった。この二月号の「年間回顧」に井上純郎氏は「あの金字塔のような炎天句碑を残して「軸」は瓦解してしまうのではないかという不安を、「軸」に関わるすべての人が持ったのではないか」と書いている。してみるとこの「野火の遍歴」は、再び俳句の世界に立ち戻った作者が、自らのこれからに重ねた言葉であったかも知れない。
                 「軸」平成19年2月号より
映像を絶てば一気に凍る闇

         「軸」平成7年12月号
■映像を絶てば
 抽象的な言い回しになっているので、さまざまな場合を想像することができる。深夜のテレビを消したこととも読めるし、夕闇が襲って風景が消えたこととも読める。さらに頭の中に浮かんだイメージを断ち切ったという意味にも取れる。絶ったのは作者と読むのが普通であろうが、闇が主語である可能性もある。
 なお、「絶てば」は、文語の確定条件として読むべきである。
「絶つと」あるいは「絶ったので」という意味である。これが「もし絶ったとしたら」という仮定条件であるなら、文語では「絶たば」となる。
■凍る闇
 季語である「凍る」を、闇という本来は凍らない抽象物に言いかけることによって、異化表現を作りだしている。ただ季語を持ってきて置くだけという作りではない。そこには、季語の使い方を何とか新しくしようとする意図がある。作者は、季語をただ置くだけの句を少なくしようとしていると思われる。
■連作
 この句は、浅間山での連作九句中の一句である。
 痙攣し微光し紅葉山昏るる
 紅葉山中もの言えば舌焦げ臭き
 日が没りてより鬼気迫る紅葉山
 残照に一歩ずつ退く枯蟷螂
 この四句に続く句であるから、この「映像」は紅葉山の景のことで、それが「闇」によって絶たれたという意図だったのであろう。しかし、もしこの句が独立していれば、次のような解釈も成立する。
 深夜の寒い部屋でテレビを視ていた。作者はその番組の世界に入り込んでいたが、番組が終わってスイッチを切ると、作者は一気に現実に引き戻され、その暗さと寒さに気付く、と。だが、連作として示されたこの句は、そうした解釈を拒絶している。
 九句中、季語を歳時記にある形のままで、上五、または下五に置いた句は、前掲の「紅葉山」「枯蟷螂」の二句だけである。季語の使い方の工夫を学びたい。
畦跨ぐ蝗に握り返されて

         「軸」平成6年11月号
         
■畦跨ぐ
 すでに苅田。水を落とされた田を、作者は大股に横切っていく。句末が「て止め」で、これが句頭に返る倒置法の「て」だとすれば、「蝗」の力に驚いて、思わず「畦」を跨いだということになる。そう読むと、かなり滑稽の句となる。
■蝗
 蝗は稲子。言わずと知れた稲の害虫だが、沖縄ではサトウキビを食い荒らす。また台湾のタイワンツチイナゴは八センチもあるというから恐ろしい。大群で押し寄せて作物を全滅させる様子は映画にもなった。貪欲な生命力を感じさせる虫だがそれをまた食べてしまうのが人間である。秋の季語。
■蝗に握り返されて
 蝗の足が指を挟んできたと読む人もいるだろうが、これは握った蝗が掌を押し返してきた力を言っている。実際に経験してみれば分かることだが、蝗を握っていると、かなりの力で押し返されるのである。それを「握り返されて」と言ったところがこの句の眼目。触覚による句である。
■句形
 この句は「AをBする。CにDされて」という構造を持っている。つまり四つの要素を組み合わせているのである。あっさり表現しているように見えるが、短い俳句形式の中でこれだけのことを言うことはそう簡単なことではない。こうした構造は、複雑な社会状況を何とか俳句でも表現しようとした戦後俳句の苦心が生み出し、定着させたものだ。
白粉花(おしろい)の白曳きずって夜汽車待つ
空落ちておりコスモスの白い闇
天上に漂う寒さ黒い梁
単車発進まず竜胆を震わせて
十三夜待つ仏壇の水替えて
水中に出て地下茎の白い冬
 同じ月に発表されたこれらの句を見ても、要素の多さが目を引く。中島斌雄の大いなる影響であろう。
「機能する」海岸線に鴨喘ぐ

         「軸」平成9年10月号
■「機能する」
 何であろうか。カギカッコを使うのは、通常は引用か会話か強調であろう。海岸線に「機能する」というような文言の看板があったというのも考えにくい話であるから引用ではあるまい。また、強調であるとすると、「機能する海岸」と続くことになるが、俳句としては「機能する」で切れている感じがする。とすると会話文ということになるが、これは独白、あるいは心内語であろう。
■機能する
 機能とははたらきであり、構造や組織の中での役割である。「機能する」とは、自分が状況の中で何らかの役目を果たすという確認の言葉であろう。
■海岸線
 海と陸との境界。海に沿った鉄道のことも言うが、ここでは海と陸との間に続く境界のことであろう。
■鴨
 カモ科の小型の水鳥。一般に冬の季語であるが、秋の作品群に並ぶ。作者は、眼前の嘱目であれば、別の季の言葉でも使うという姿勢であった。
■喘ぐ
 せわしく荒い呼吸をする。困難な状況で苦しむ。
■句意
 長く続く海岸線で、鴨が喘ぐようなしぐさをしている。これまでの道のりが長かったのであろう。「喘ぐ」と言えば、今の私もそれに近い状況にあり、常に状況の瀬戸際で喘いでいるような日々が続いている。
 しかし、ここで苦しんでしまうわけにはいかない。私は、私の状況の中で、機能し続けていくべきなのだと思う。
■鑑賞
 軸主宰としての三十年を超える歳月。作者の内部に「喘ぐ」という言葉が生まれたとしても不思議はない。だが、そこで作者は「機能する」という無機質の、しかし重要な言葉をつぶやき、自らに持続を確認するのである。
雷頭上墓は濡髪長五郎
         
         「軸」平成3年7月号

■雷頭上
 漢文ではよく見るフレーズだが、俳句ではそれほど見かけない。もっと使われてもよい言葉であろう。頭上の「雷」と人の渾名である「濡髪」が、意味やイメージの上でうまく結びついており、また、「ずじょう」という音が「ちょうごろう」という名と響きあって、芝居の科白のような粋な韻律を作りだしている。作者の遊び心が伝わってくる句である。
■濡髪長五郎
 歌舞伎の「双蝶々曲輪日記」(ふたつちょうちょうくるわにっき)の主人公である。五歳で生母と別れた相撲取りの長五郎が、パトロンのために殺人を犯し、長崎相撲に逃げ下ろうとする途中で、実母のお幸のもとに暇乞いに立ち寄る。ところが、その家の亭主与兵衛(お幸の義理の子)が、悪人を殺したことから武士に取り立てられ、長五郎を捕らえる役を仰せつかって帰ってくるのである。しかし、二人は互いに相手の立場を理解し、長五郎は捕縛されようとし、娘婿は長五郎を逃がそうとする世話浄瑠璃である。題名の「双蝶々」は長五郎の長と、そのライバルの放駒長吉の長を掛けたものと言われるが、主要な登場人物が対の関係になっていることもあると思われる。
■長五郎の墓
 東京都荒川区南千住の浄閑寺にある。浄閑寺は明暦元(1665)年創建の浄土宗の寺。安政の大地震で吉原の遊女たちの多くの死体が投げ込まれ、以来「投込寺」と呼ばれるようになった。万を数える遊女が葬られており、明治18年に品川楼で心中した遊女盛紫と内務省の役人谷豊栄の「新比翼塚」もある。
 そのほか、落語家三遊亭歌笑の記念塚(武者小路実篤書)本庄兄弟首洗井戸、永井荷風文学碑、吉原遊女の供養塔である新吉原総霊塔などがある。
■弥生句会
 凱夫が浄閑寺を訪れたのは、弥生句会との関わりがあってのことだろう。当時は、荒川区総合スポーツセンターで、弥生句会という定例の句会が開かれていたのである。
                    「軸」平成18年7月号
疾走のかたちに風の蝸牛

         「軸」昭和62年6月号
■疾走のかたち
 蝸牛の首が前傾姿勢になっているのを、疾走しているような姿だと感じ、そう表現したのである。その場合、ほかにさまざまな言い方が考えられる。
 疾走しているように見える蝸牛(説明)
 疾走しているような蝸牛(直喩)
 疾走の蝸牛(隠喩)
 蝸牛疾走(隠喩)
 初めの二つは、正直な表現であるが、何のふくらみもない。
後の二つは、何事かと思わせる意外性はあるが、それだけではリアリティ(本当らしさ)が不足する。「かたち」と明確に言うことで、確かにそうだと思わせるリアリティが生みだされるのである。
■風の蝸牛
 「風の中の蝸牛」を短くつめて言ったのであるが、「中の」を省略することによって、風と一体化している感じが強まっている。またその「風」が、蝸牛の状況であることも暗示させている。
■句意
 蝸牛が前傾姿勢で一心に前進している。その進む方角から
夏風が吹き付けてくる。疾走というほどの行為などできぬはずの蝸牛であるが、その姿はまことに疾走を思わせるものであった。
■生きる姿
 作者は、蝸牛という決して疾走することのない生きものに、
「疾走のかたち」を見ることによって、「疾走」することの意味を読者に問いかけている。
■滑稽
 作者は、ゆっくりとしか動けぬものが、「疾走のかたち」をするという滑稽を作りだしている。
 だが、この蝸牛は、どう読んでも冷笑や憫笑の対象ではない。むしろこの作者は、その姿に美を見いだしているようでさえある。こうした滑稽こそが、ユーモアと呼ばれるものである。俳人中川四明は、それを「有情滑稽」と呼んだ。「疾走」は蝸牛の夢であるのかもしれない。
                     「軸」平成18年6月号
黒い翳翔ぶかさかさの麦の熟れ

         「軸」昭和63年5月号
■黒い翳
 上空を何かが飛んでおり、その影が麦畑を走っているのである。飛んでいるのは大きめの鳥だと考えるのが通常であろう。
 しかし、作者が師と慕った中島斌雄の代表句に「爆音や乾きて剛き麦の禾」がある以上、この句をそう簡単に解釈するわけにはいかない。明らかに作者は、斌雄句をさらに抽象化し、時代を超えての「不安」を描き出そうとしているからである。斌雄句が描こうとしたものは戦中の記憶や戦後の不安感であるが、凱夫句は、そうした時代性を超越しようとする。「黒い翳」とだけ言い、それが何かを特定しない表現が、漠とした「不安」というものを句の中に生み出している。
■翔ぶ
 この字の訓は「かける」または「とぶ」である。だが俳句では、この字を「たつ」と読ませることが多い。多くの人がそのことを批判しているが、この句を載せた号の「軸の光陰」で、作者は、言葉は変化するものだという確信のもとに、この字を「たつ」と読ませることを援護している。
■かさかさの麦の熟れ
 「熟れ」といえば、湿り気のある様子が普通だろうが、確かに「麦の熟れ」は乾いた感じである。だが「かさかさの」という表現が伝えているのは、麦が乾いているということだけではない。『広辞苑』の「かさかさ」の項には「世相や人の性格などに人情味やうるおいがないさま」と記されているが、そういうことを感じている作者の気持ちも伝えているのである。その意味が「の」を付けることによっていっそう強まっている。
 ちなみに学校文法では、「かさかさ」は副詞と説明されることが多いが、「かさかさの」という一語を認めるとすると連体詞である。また、もし「かさかさな」という言い方が可能だとすると、形容動詞ということになるが、最近の日本語文法では、形容動詞と言わずに「ナ形容詞」と言う人が多い。文法というと、答えが一つに定まると思っている人が多いが、実は考え方で、さまざまな見方が成立するものなのである。
荒涼と春別々の死が通る

           「軸」平成6年4月号
■句またがり
 「荒涼と春」までがひと区切り。上五から中七へ意味の続きがまたがっていくので、こういう切れ方を「句またがり」という。これを二段切れという人がいるが、その呼び方では、二箇所に切れがあるということと混乱する。
■別々の死
 死は個別である。よく事故や戦争の報道で、「何人死んだ」というようないい方をされるが、そこに同じ死が重なっているわけではない。まったく異なった人生の果ての、まったく異なった死が、それぞれに終結してしまっているのである。ややもすると私たちは、その個別の事態を「死」という言葉で抽象化し、等質の「死」が並んでいるように考えてしまう。だが、死は、それぞれに「別々」なのだと、作者は主張している。
■死が通る
 作者の目の前を死という現実が通過していく、という意味にとれるが、ただ「通る」とだけ言っているので、作者の内部を、他者の死という事実が通過していくようでもある。この「通る」という表現の生々しい実在感が、この句の生命線である。
■状況
 この句の次には、次の二句が載る。

    岡野久米先生急逝、門下の悲嘆限りなし
 梅寒しわれらこの世に遺されて
    戸張智雄氏追悼
 彼岸寒む大空のどこ掴んでも

 岡野久米氏は、教育界における作者の師ともいうべき人。国語教育者として名を馳せ、また「吾妹」の歌人としても著名であった。
 戸張智雄氏は文学博士で中央大学教授。古代ギリシア演劇の研究をはじめとし、演劇研究に大きな足跡を残した学者で、作者の縁者である。
 作者の行く先を照らしてくれていたこの二人が、相次いでなくなったのである。作者にとっては、寂しさを超えた空白が目の前に広がったことだろう。先人二人の足跡を思い、生き方を振り返っての「別々の死」という表現だったのである。
梅固し雲を敷きつめたる水も

          「軸」昭和60年3月号
■梅固し
 梅の実ではない。早春の梅の花がまだ固い感じだと いうのである。感じたままを言い切るのは凱夫俳句の 特色の一つ。「梅郷即時」九句中六句目の句。
■雲を敷きつめたる水
 曇天だったのである。水に一面の雲が映っている。 早春の寒さを残した薄暗い一日であるが、「梅」「水」 という言葉が、この句を暗さから救おうとする。
■固し
 しかしこの「固し」は、永遠の固さを言っているの ではない。やがて春の日差しが戻れば、この梅の花も 水も柔らぐのである。「まだ」とは言っていないが、季 語という推移する季節に即した言葉が、そう予感させ るのである。
■「梅郷即時」
 「梅郷」は野田市の地名である。「即事」は、眼前の 事物をとらえてすぐ詠んだということ。  明治二十二年、市制町村制の実施によって野田町と ともに梅郷村が誕生したが、昭和二十五年に野田町、 梅郷村、旭村、七福村が合併して野田市となり、「梅郷」 の名は消えた。現在の住居表示は野田市山崎。「梅郷」 の名は東武野田線の駅名として残されている。  作者は、昭和三十年から八年間、旧梅郷村である野 田市山崎に居住した。勤務は初め野田市立南部小学校 であったが、やがて野田市立宮崎小学校の教頭を経て、 印旛郡印西町立小林小学校校長となる。梅郷に住み、 教員として着実な歩みを進めていったのである。埼玉 から千葉に移っての最初の勤務地となった南部小学校 は、もと梅郷小学校だったのであるから、作者の、こ の地名への思いは強かったはずだ。
土となる芥の匂い梅三分
梅遅速眼鏡外して吐息して
なんとなく水流れつく枝垂梅
白梅の恥しさ薄日潤みつつ
猫よぎる猫背の梅に見下され
咲く前の梅蒼白の翳放つ
啓蟄や樟の大樹に泛く薄日
くわえたるものを放さず春鴉

水に降る雪いさぎよし古志郡

           「軸」平成5年2月号
■「いさぎよし」
 凍らぬ川か湖があったのであろう。降りしきる雪が次々に水面に消えていく。その様を、作者は「いさぎよし」と感じとる。
■古志郡
 かつて新潟県にあった郡の名。律令制の初期から存在した歴史のある地名である。「越」や「高志」と通じる地名だと思われるが、確証はない。当初は、越中の広大な地域の名であったが、大宝二(七〇二)年に越後に移され、以後、次第に地域を狭めていく。明治期の郡区町村編成法によって郡役所が長岡本町に置かれたが、その長岡市を手始めに次々に市制がひかれ、昭和三十一年には山古志村一村のみとなり、ついに平成十七年四月、山古志村が長岡市に編入されて、古志郡は消滅した。平成十六年十月にこの地方を襲った中越地震の被害は未だに復旧を果たしていない。  作者がこの地を訪れ、この句を詠んだのは、平成四年末のこと。山古志村は、ただ一村、古志郡の名を守っていたころのことである。
■消滅を前向きに受け入れようとする思想
 平成元年に一度生死の境をさまよった作者は、死に向かう存在としての人間のあり様を前向きに受け止めようとし始める。この句も、そうした思想が明確に現れている一句である。やがてその思想は、平成十年の「はればれと冬蝶海へ死ににゆく」に繋がっていく。
■死の際を憶う
 この句は、「古志郡」と題された連作の六句目に置かれている。他に次のような句がある。  雪つもる深きいのりの針葉樹  鴉また鴉奈落を出て雪野  水という水の嗚咽に峡吹雪く  死の際を憶えり雪の白い闇  最後の句などは、作者自身の状況を直截に語りすぎていて、俳句の完成度という点からは疑問も残るだろうが、しかし、この時期の作者の心境を理解するうえでは欠くことのできないものとなっている。「思えり」を「憶えり」と記した作者の脳裏には、死のほとりをさまよった記憶がありありと甦っていたのであろう。

去年今年夜間飛行が刻つなぐ            
           「軸」平成2年1月号
■去年今年
 新年を迎え、あらためて年の推移を実感しているの である。「行く年来る年」と同じ意味であるが、「去年 今年」の方が内向的で、懐古する感じが強くなる。
■夜間飛行
 夜、飛行すること。『星の王子様』で有名な作家サン ・テグジュペリは、プロの飛行機乗りでもあった。南 米で新航路を開発する仕事をしながら一九三一年に発 表した小説が『夜間飛行』。命を賭けて夜も飛ぶ郵便飛 行機の物語である。この作品は、早くも一九三四年、 クラレンス・ブラウン監督により映画化されている。 ジョン・バリモアとヘレン・ヘイズが共演。クラーク ・ゲイブルも出演している。香水「夜間飛行」を売り 出したジャック・ゲランは、サン・テグジュペリの友 人であった。
■句意
 新年となった早朝、空を眺めていると、夜空を飛ん でいる飛行機があった。点滅する飛行灯を眺めながら、 あの飛行機が離陸したのは、きっと去年のことだった のだと思い当たる。旧年のうちに離陸したその機体は、 年を越し、この新年に着陸するのである。そこには年 末年始の休みもなく働いている乗組員がいる。飛行灯 の点滅は、去年と今年の時間をつないでいく。
■凱夫と映画
 作者は若い頃から映画好きであった。野田市の共楽 館ができたときには、その宣伝文句に応募して二席と なり、以来、無料で映画を見ていたという自慢話をよ く聞かされた。映画「夜間飛行」が日本に来たのは、 作者が十七、八歳のことだったはずだから、これを見 ていないはずはない。「句意」に乗組員のことまで書い たのは、作者にこの映画の記憶があるに違いないと思 ったからである。
■状況
 前年の平成元年四月、作者は、腹部大動脈瘤の大手 術によって一命を取り留めた。それを考えると、この 句の「去年今年」や「刻つなぐ」という言葉には、万 感の思いが込められていたに違いない。まさに作者は、 一年を「夜間飛行」のように生きていたのである。

潮晩秋脱出叶わざるままに

          「軸」平成8年12月号
■潮晩秋
 「秋の潮」という季語があるが、「潮晩秋」は、「うしおばんしゅう」と読むべきではなかろうか。「晩秋」の重さに対し、「しお」ではいささか響きが軽すぎる。
■脱出叶わざる
 舞台は阿波徳島の渦潮である。晩秋の渦潮が、大きく、ゆっくりと渦巻いている。その回転に、脱出しようとしてできない潮の本性を見たのである。  むろんその「脱出叶わざる」という表現は、作者の生活実感から出て来たものに違いないのであるが。
■徳島支部
 この句は、次の前書きが付された八句連作の三句目。  「十一月十八日、徳島支部結成挨拶に赴く。午前十時徳島空港着。先ずは篠原元、新居ツヤ子氏の案内で鳴戸の渦潮を見に。新居悦子氏運転。観潮船上即事。」
■平成八年十二月号
 通巻三百六十号。三十周年行事の準備のこと。碧耀集巻頭、境土ノ子氏。葭の会、吹割れの滝吟行。けやき句会、奥多摩吟行。すみれ句会、上野界隈吟行。里芋・木曜会、裏筑波吟行。苞の会、北方奥会津吟行。
■阿波と安房
 阿波と安房が、古代から黒潮文化圏としてつながっていたのは有名な話である。一説によれば、南方から船でやってきた忌部(斎部)氏が、大和の国(奈良)を本拠地に、伊勢、出雲、紀伊、阿波へと広がり、各地でさまざまな産業を興した。阿波忌部氏は製紙業を営んでいたが、あるとき船で館山に麻と殻を運ぶ。麻は布の材料で、穀は紙の材料である。そして、麻のよくできたところを総、殻のよくできたところを結城と名付けたという。その後、総の国は、上総と下総に分かれ、忌部氏の移住したところが阿波となって、天武天皇の時代に、その阿波を安房とあらためたのだという。そうだとすれば、安房の文化は、阿波からもたらされたのだということになる。
虫売りが鞄から出す虫図鑑

          「軸」平成元年10月号
■とぼけた味わい
 俳句の中には、とぼけた味わいを持つものがあって、名句とはいえないまでも、捨てがたい存在感を見せる。この句などもその一つであろう。  虫売りという由緒ある職業に就く者が図鑑を取り出した、というところに、さすがご専門、というべきであるのか、衒学的というべきなのか、実は素人であったということなのかがよくわからない可笑しさを漂わせている。こうした味わいは、俳句という文芸の特色の一つでもあり、大事にしたいものだと思っている。
■ものごとを調べる
 作者は、人前でものを調べるということの嫌いな人であった。知らないことは恥だと堅く信じていて、何でも陰で調べておくという習慣が身に付いていた。とくに季語については、知らないというほどの恥はないと考えていたようである。  昔の句会はいろいろと厳しかったようで、知らない季語が席題に出てもだれにも聞けない。それで若い頃、田作をゴマメのこととは知らず、句会で大恥をかいた、という話を何度も聞かされた。そうした経験の積み重ねの中で、恥をかかないように調べるという習慣が身に付いたのであろう。
 そうした作者の姿から考えると、この句なども、普通に読むよりははるかにシニカルな句であるのかも知れない。作者が信じ、尊敬したのは、あらゆる分野で「生き字引」と呼ばれるような人だったのである。  昔の句会は、修羅場とでもいうべき場だったようで、その厳しさの中で、俳諧師とも呼ぶべき職人肌の俳人が育てられていった。今のように、人前で平気で電子辞書を引いているような甘っちょろい句会では、俳句の職人は育ちそうもない。私なども、人前でものを調べて平気な方であるから、父はずいぶん歯がゆい思いで見ていたのであろう。田作の話を繰り返したのも、もっと勉強しろといいたかったに違いないのである。

軟禁の月がぐにゃぐにゃガラス瓶 

           「軸」平成9年9月号
■浮き上がってくる言葉
 歪んだ「ガラス瓶」に映った「月」を詠んでいるのであるが、「ぐにゃぐにゃ」だ、という思いが、頭の深いところで「軟」の字につながり、その瞬間に「軟禁」という言葉が浮き上がってきて、この状況を語る措辞が定まったのであろう。理屈や観念で編み出した「軟禁」ではないのだと思う。
■俳句自由
 こういう句を読むと、改めて、俳句は自由であったと再認識させられる。あれをしてはいけない、これを言ってはいけないと自分で枠を決め、人目を気にして気取ってしまうから、俳句がつまらなくなるのである。  自分の感覚や、浮かんできた言葉を信じて、常識や人の眼を気にしないことである。自分が見たままを言い、感じたままを言う。それでしか、自分らしさというものを表現するすべはない。初めから伝わらないのではないかというおそれを抱く必要はない。それは、積み重ねの修練が解決していく問題である。
■心の解放
 心が解放されていないと、意識に浮かんでくる言葉が、すでに束縛されているという事態に陥る。それでは俳句は作れない。  心を束縛するのは、例えば「常識」とか「知識」とか「道徳」とかいうものである。そういう生半可な知恵の危うさを、私たちは自覚すべきである。  心は、本当に深い知恵にだけ預けておくべきだ。本当に深い知恵は、過去にも現在にもなくて、ただ遠い未来にあるから、私たちは、そこに向かって何度も脱皮を重ねながら近づこうとするしかない。それが「考える」という行為なのである。たしかに先人の知恵は過去にあるが、私たちにとって、その完全な理解は、やはり未来にしかない。
 俳句を作ることは、その未来への小さな一歩なのではないだろうか。まがい物ではない新しい発見、借り物ではない新しいものの見方を一つずつ積み重ね、私たちは深い知恵に向かって進んでいくのだと思う。

街空の星ちくちくと熱帯夜


          「軸」平成8年8月号
■「ちくちくと」
 星のきらめきを「ちくちく」とはかなり思い切った形容であるが、むろんこれは作者の状況から生まれてきた言葉である。明らかに作者は何ものかにさいなまれている。「街空」や「熱帯夜」という言葉も、すでに負の影を負った言葉であるが、「ちくちく」が、己の状況と心情を明確に表出している。こうした言葉の使い方こそが、一般的な意味を超えて、作者の「自分らしさ」を表現するものであるだろう。
■私性
 俳句でよく「私性」が問題になるのは、おそらく一方で、俳句が「私」を超越した「無私」の文芸だと言われることがあるからだろう。それは俳句を禅の悟りと結びつける思想に連なっていて、一方で俳句に深さを与えていくが、しかし他方で、圧倒的に平凡でつまらない「俳句らしさ」を生み出していく思想である。
■平成八年八月号とびら
 この作品が掲載された八月号の巻頭に、作者は「格闘」と題し、次のような文章を載せている。  俳句は俳句らしく/整っていればいい/そんな安易さが身に付いてしまっていて/やすやすとつくることに狎れ切ってしまっている/気が付いてみると/自分の俳句は/自分ではないところに座っていた/ゆきつくところへ/ゆきつけぬまま/まるで未熟児のように/いたいたしく横たわっていた/言葉に偽装され/リズムに眩惑され/不完全の完全を余儀なくされ/中途半端で投げ出された俳句を/かなしいとは思わないか/俳句は自分との格闘のなかから/生まれ出るものでなければならぬ
■『東南風(いなさ)』  余談になるが、やはりこの八月号の「俳人筆蹟」欄に長谷川天更の葉書を掲載し、「私は、宮野?の筆名で(「東南風」の)編集を手伝っていた。中堅同人の佐藤鬼房、鈴木六林男が戦場に発ったあとの頃である」と記されている。凱夫研究上重要な事項であるので、ここに記しておく。

微粒子となり暗緑をくぐる水

           「軸」昭和56年7月号
■季語
 作者は、「緑」は季語だと語っていたことがあった。句会か何かでもめたのであろう。帰宅して、やや熱を帯びた調子で「緑は季語だよ」と繰り返していたことを覚えている。
 異論のある人もいるだろうが、ほかに季語がない以上、この句の季語は「暗緑」とするしかなかろう。まず、どの歳時記を探しても、「暗緑」という季語はないだろうが。季節はもちろん夏である。
■微粒子
 それにしても微粒子とはどういうことだろう。水をじっと見ていたらそう見えたというのだろうか。また「暗緑をくぐる」とは、木下闇の下の水流であろうか。  分からないことが二つあるときは、むしろ答えを得やすい。二つの疑問に共通するものを考えればよいからである。  もうお気づきと思うが、作者は庭に水を撒いているのである。シャワー状になった水が、霧のようになって炎天から木下闇に向かい、その暗緑の空間をくぐり抜けようとしているのである。
■季語と季題
 とすると、この句のテーマは、「水撒き」ということになる。季語は「暗緑」だが、季題は「水撒き」である。歳時記に収められるときは、「水撒き」の句ということになるだろう。
■即吟  おそらくこういう句は、そっくりこのままの形で一気に浮かんでくるのである。あれこれ考えて作った句とは思えない。「俳句は作るのではない、浮かぶのだ」と作者は何度も言っているが、この句などはその典型であろう。
■『暗緑地誌』   金子兜太氏に句集『暗緑地誌』(昭和四十七年・牧羊社)がある。兜太はその題名を「暗鬱な生命力のアレゴリー」だと書いている。この句も、微粒子となってまだ水である存在に、生命力を見ることができよう。

青嵐水いくたびも幽くなる 

          「軸」昭和56年6月号
■切れ
 この句は、上五の「青嵐」で切って読むのが普通だ ろう。したがって、「青嵐」が吹いていることと、「水」 が「いくたびも幽くなる」ことを、因果関係で結ぶ必 要はない。だが、少し考えれば分かることだが、この 句が実景だとすれば、この景の背後には、風によって 流れる雲が介在している。水は、その雲の影によって 「いくたびも幽くなる」のである。
■「幽くなる」
 雲が掛かれば、地上が暗くなるのは道理であって、 その部分だけを見て、この句を知的な句、あるいは理 屈の句と思う人がいるかもしれない。だが、「いくたび も幽くなる」ということは、いくたびも明るくなって いるわけで、それを「幽くなる」と言い表したところ に、作者の情感は表出されている。  「雲」のことを言わずに隠したのは、省略という技 巧であろう。だが、技巧だけで句が価値を持つわけで はない。更にその技巧によって、その技巧の重さを超 える心情が表現されていなければ、その句はただの「面 白い句」で終わってしまう。
■「水」
 更に考えれば、「幽くなる」のは「水」だけではない。 地表のすべてが「幽くなる」のである。その中で作者 は「水」を選んだ。「水」が「幽くなる」と表現した。 これは理屈ではない。作者の感性である。しかも「水」 が「幽くなる」というのは、尋常の言い方ではない。 方円の器に従い、淡々と自然に身を任せる「水」でさ え、「いくたびも幽くなる」のだということを、作者は 発見しているのである。
■青嵐 
辞書を繰ると、「あおあらし」は「せいらん」とされ、 また「薫風」と書かれている。だが、むろんその三者 は同じではない。文字や言葉の響きから、伝えてくる ものは少しずつ違う。風の強さも「あおあらし」がも っとも強かろう。人間に抗う力もまた「あおあらし」 が一番強いように思う。

含羞や白紙の上の寒卵 

          「軸」昭和48年2月号
■「や」という切れ字
 白い紙の上に、白い卵が置かれている。同じ白であ るがゆえに、紙の白さの上で、極寒の卵は、幾分のは にかみを見せているように感じられる。と、普通はこ う読むであろう。だが、「や」という切字が少し気にな る。この「含羞」は、卵とは別のものではないのか。
■作者自解
 この句については、昭和四十八年四月号に、作者の 自解が掲載されている。それによれば、作者の勤務す る小学校での出来事だという。放課後の職員室に、飼 育委員会を勤める六年生の男の子が卵を一つ持って入 ってくるのである。以下、文章の一部を引用する。   ふだん無口で、めったに職員室などへは顔を出さ  ないこの少年は、あてにしていた先生がいないと見  てとると、一瞬戸惑って、帰りかけようとしたが、  いちばん身近な机で事務処理をしていた若い教師Y  君に近づき、何やらささやいた。Y君は大きくうな  ずくと、抽斗から白紙を出して、この上に置いてい  きなさいとばかり、指で示した。少年は言われたと  おり、卵の安定を確かめながら、静かに手を離した。  少年の目に安堵が漂った。  やはりそうであった。「含羞」は、その卵を届けた少 年のものであった。「や」という切字の解釈には、いつ も注意が必要である。
■「眼差し」を学ぶ
 この自解は、子どもに対するこれ以上ないほど丁寧 な眼差しによって書かれている。ここまで見つめるか らこそ、教育が成り立つのである。同様に、対象をこ こまで見つめるからこそ、俳句が成立するのである。
■「の上の」
 この句が作られて三十年以上経過した。現在の俳人 なら、この句の「の上の」を平凡だと感じ、「に眠る」 などと工夫することだろう。だが、そんなことはただ のレトリックである。問題は、それ以前に、どれほど しっかりと対象を見つめているかにかかっているのだ。

  リンカーン・センター

カルメンの嘆きあとからあとから雪

          「軸」昭和62年4月号
■カルメンと雪
 「紐育抄」九句のうちの一句。作者は、ニューヨークのリンカーン・センターでオペラ「カルメン」を見た。劇場を出ると、外は激しい雪であった。  カルメンと雪。常識から言えば、これほど遠い取り合わせはあるまい。「カルメン」の舞台セビリャは、夏は日常的に四十度を超えるような町なのである。しかし、劇場の外は雪。現実は、いつも常識を転倒させる。 最後の場面で、ホセに刺し殺されるカルメン。万雷の拍手が鳴り終わり、外に出るとニューヨークの雪が降りしきっていた。そのとき、カルメンのほとばしる情熱が、降りしきる雪の姿と重なり合う。この上なく熱いものが、冷たい雪に一致する不思議。ふたつのものは「あとからあとから」という言葉で結ばれている。
■カルメンは何を嘆いたのか  カルメンは、多情なジプシー女という設定である。ドン・ホセは、カルメンに翻弄され、破滅する。むしろ「嘆き」はホセのものであろう。だが、作者は、カルメンにこそ嘆きがあったと見る。
 カルメンは、ホセが毅然とした男であることを願っていたのだろう。それが「カルメンの嘆き」。好いてしまった男と理想像とがかけ離れてしまった悲劇である。
■作者の状況
 二月に第五句集『草の罠』を刊行。同時に、北米俳句大会の選者の一人として渡米した。同年の「軸」五月号に大木雪浪氏が『草の罠』評として「四回の海外旅行は凱夫氏の人生の中で大きなウェイトを占めた筈である。だが、これらの海外詠が、この句集に占めるウェイトは、質量ともに左程重くない。そのことが、私にとっては不思議」「熟達の士河合凱夫をもってしても、旅行吟の限界は如何ともし難かったのであろう」と書かれている。だが、五回目の海外旅行で得たこの句は、海外詠としてかなりの面白さを作り出していると言えよう。

梅寒し地に一本の藁吹かれ

          「軸」平成五年三月号
■切れ
 この句の醍醐味は、何と言っても上五の切れにある。 「梅寒し」という大掴みの状況が、「地に一本の藁吹か れ」という細部の写生によって密度を増し、説得力あ るひとつの世界を作り出している。なぜ最後が「吹か れ」と連体形で終わるかと言えば、上五の切れが強い からである。「梅寒し」という切れは、作品を中断して いるばかりでなく、この一句全体を終止させている。 下五が、また上五に戻っていく構造なのである。
■言葉と言葉の共鳴
 登場する言葉が、すべて緊密に響き合って、ひとつ の世界を作り出している。「梅寒し」から「地」に転ず る視線の変化も面白いが、その「地」も「一本」も「吹 かれ」も、すべての言葉が、「梅寒し」を実感させる言 葉なのである。
■「藁」
 唐突に藁が出現している。しかし、この藁は田畑の ものではない。造園に使われた藁である。冬の間、木 々を包んでいた藁がはずされたか、あるいはその一本 が吹き飛んできたのである。
■連鎖
 上五の切れに「i」音の連鎖がある。「し」と切って、 「地」に連なっている。さらにその「i」音は、「一本」 の「i」音と響き合い、頭韻のような効果を生み出し ている。「i」音それ自体が寒い感じの音でもある。
■思い出
 この年の二月七日、高橋龍氏の句集『惡對』の出版 祝賀会があった。隅田川に浮かべた屋形船での会であ った。父は、初めてそうした会に私を誘ってくれた。 出席者は三橋敏雄、高柳蕗子、池田澄子、仁平勝、豊 口陽子・・・。私には眩しすぎる人たちであった。たぶん 父は、私が本気で俳句の世界に入るのかを見定めよう としていたのである。  父は私に、同人句を出さないかと言った。私が、俳 句を再び書くようになってから四年経っていた。心が 動いたが、やはり自分は評論で行くと答えた。そのと きはまだ、父が自分の命の長さを測っていることに、 私は気づいていなかった。

くらやみの崖から凩のシャワー 

          「軸」平成3年2月号
■「崖」
 切り立った崖が、暗闇に立つ作者の眼前にそびえ立 っている。見上げても、頂上は見えない。それはどこ までも上に伸びて夜空に連なっていく。まるで夜その ものであるかのように。  突然、強い北風が、崖の上から吹き下ろし、作者の 全身を吹き抜けていく。襟から入り込んだ風は、全身 の体温を奪い去ろうとする。その冷たさのシャワーに 身を晒した作者は、ふと気づくのだ。体内にわだかま っていたものまでが流されていくのを。
■「の」という助詞による異化表現
 「くらやみの崖」「凩のシャワー」いずれも通常の言 い方ではない。普通に言えば「くらやみの崖」は「く らやみにそびえる崖」、「凩のシャワー」は「シャワー のような凩」である。それを「の」という助詞で短縮 することによって異様さを生みだし、「崖」や「シャワ ー」の本質(そびえたつもの・流しさるもの)を読者 に改めて認識させている。これが「異化表現」と言わ れるものである。
■カタルシス
下五の「シャワー」という言葉は、その語感とも相 まって、精神のしこりをみごとに押し流し、浄化して いく。文字通り「シャワー」という言葉が、シャワー の働きをしているのである。魂を浄化する文芸のこう した働きをカタルシスという。
■作者の状況
 腹部大動脈瘤の手術から二年、人工血管によって生 き長らえた作者は、精神、体力ともに回復に向かいつ つあった。しかし、病苦のショックは尾を引き、死へ の恐怖は重く内面に巣くっていたと思われる。句作に おいても、今まで以上の苦悩を背負った魂の表現方法 を見いだすべく必死に模索を続けていた時期と言えよ う。「くらやみの崖」は確かに作者の内面にそびえ立っ ていたのである。

あとずさる時間仮面に息白し 

          「軸」昭和59年1月号
■能舞台
 寒気が覆う能舞台。面をつけたシテが、ゆっくりと後退っていく。その永遠につながる時間の流れの中に、役者の白い息が漂う。作者はそこに、仮面をつけて生きる人間の緊迫と、その裏側の息づかいとを併せ見る。
■「隠す」という技法
 散文と違って詩は、書いてある言葉以上の何ものかを伝えてくる。逆に言えば、書かれた言葉以上の何かを伝えてこなければ、それは詩ではない。  言葉以上の表現を生み出すものの一つに、「隠す」という技法がある。この句では「能」というテーマが隠され、読者にそれを読み取る余地を残している。  「能」と書かずに分からせるために、「あとずさる」と写生し、「時間」という「能」の本質に関わる抽象概念を置き、「仮面」というヒントを与えている。
■落とされた句
 しかしこの句が句集に採られることはなかった。句集『草の罠』に収められたこの月の作品は、「黒猫の全長霜の木から地へ」「首塚の冬からたちに雨十粒」「サーカスの昔へ靡く冬すすき」の三句である。  これらに比して、掲句は何が不足していたというのであろう。一瞬のクロッキーとして、不足ない表現を成し遂げているように見える。  おそらく作者は、ただ「面」と言わず、「仮面」とまで言ってしまった現代性を警戒したのであろう。確かに具象で徹底するのなら「面」と言わなければならない。しかし私は、「仮面」ゆえの抽象性を、二十一世紀の今こそ評価したいと思う。
■昭和五十九年
 この句の掲載された一月号の「とびら」は、「『軸』という眼鏡をかけて俳句を見ないこと」と書き出されている。「『軸』らしい俳句なんてどこにもありはしない」「俳句が判ることによって短歌も現代詩も、絵も音楽も判っていかなければ嘘なのである」「わかろうとする眼鏡をかけて、すべての俳句をみつめること。これを今年の課題にしたい」と。

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